2008/02/16の社説

朝日新聞

 「新指導要領と新銀行東京」
 教師に同情的な書き方である。「この指導要領によって(中略)考える力が育つのだろうか」という疑問は、どんな場合にでもあっていい。しかし「教師への負担はいっそう重くなる」といいながら「現場の工夫にまかせた方がいい」というのは、わからない。負担の加減は教師自身に任せろと言っているのか。教えることが増えたから負担が増えたというのであれば、ゆとり教育のときには教師にも余裕はあったはずだ。その余裕は何に使われたのだろうか。子供たちのためではない。結果は国際学力調査で明らかだから。にもかかわらず、何をもって現場に任せたほうがいいなどといえるのだろうか。
 さらに「道徳心を子どもに教えることは必要だが、特定の価値観を画一的に押しつけるようになっては困る。どのように教えるかは教師たちにまかせた方がいい」というのもすごい話だ。道徳は多かれ少なかれ、特定の価値観を画一的に押しつけるものだし、身近に接する人の影響を受ける。そういう意味で、私も教師が道徳を教えるのには反対する。
 私がまだ学生だった頃、入試に天声人語などを題材にすることがあった。私の身近な学校の先生は朝日新聞の購読を勧めていた。朝日新聞の営業を先生方がやっていたということだったのかと、納得してしまった。

毎日新聞

 「新指導要領と新型インフルエンザ」
 毎日社説も新指導要領には懐疑的で「検証が不足したまま、改定を急いだ感がぬぐえない。」という。懐疑的なのはいいのだが、さて、検証とはどういう意味なのだろうか。どこかの学校で実験を行えという意味なのだろうか? また「現場教員を細かく縛るのではなく、主体的に運用されるべきだ。」というが、誰のために何のためにという視点無しで「べき」などというのは不思議に思う。社説を何度か読み返したが、子供のためという視点は見つからなかった。将来の日本のためという視点もなかった。あったのは、教師への同情だ。「一方的な「お仕着せ」になること。それを最も戒めなければならない。」というのは、結局は教師のためなのだ。
 で、朝日社説も読み返した。やはり子供のため、将来の日本のためという視点はなかった。朝日社説については前の段に書くべきなのだが、どちらに書いても同じに思える。

産経新聞

 「新指導要領と食の安全対策」
 伝統文化を題材にして新指導要領について書いているが、たしかに、本当に必要なことであると思う。全国一律では決められないし、地域の教師が担うべき部分だろう。

読売新聞

 「新指導要領と中国製ギョーザ」
 朝日毎日とは違い「21世紀担う人材どう育てる」という視点がある。この点だけは評価できる。

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